悟りを開く、それは遠い昔にお釈迦様が成し得た魂の超越。“悟る”なんて現代の社会ではあまり現実的とは言えないような…と思いますよね?そもそも“悟り”ってなんでしょう?悟りを開くと何がいいの?
実は“悟り”は、ストレス社会といわれる現代こそ必要かもしれません。それでは“悟り”について、簡単にご説明しましょう。
悟りを開くとは?
仏教で「悟り」とは、修行によって「迷いを超え、全ての真理を体得すること」。簡単に言えば、何故そのような事が起こり、それに関わった全ての事柄を知り公平に冷静に判断し配慮するということです。
人は自分の価値観の上で物事を判断します。けれど、それは万人の価値観ではありません。それぞれの人の考えを理解し判断できるということです。
欲を捨て悟りを開くことで広い視野で客観的に物事を見ることができ、憤りや疑問を払拭し穏やかな気持ちで物事を判断できるというものです。
けれど現代は様々なシーンで欲がないと生きていけない時もあります。多くのモノや情報、お金が満ち溢れ欲や誘惑で結果的にストレスになることも多くあります。そんな現代だからこそ、却って悟りの心が必要なのかもしれません。
悟りと諦めの違い
「悟り」には手放す、拘らない、執着をなくすというプロセスがあります。現代は恵まれた世の中で魅力的なものがたくさんあります。たとえば、素敵な服やアクセサリーを見て「欲しいな」と思っても、自分には到底買う事が出来ない金額…諦めるしかありません。
「諦め」とは我慢する、欲求を捨てるという事。でも、頭の中では「欲しかったな、なんであんなに高価なの?私はその財力が無かった」と未練が残ります。これは普通の感情で悪い事ではありません。
ただ、悟りを開いた人は魅力を感じたモノに対し“これは自分には必要なものではない”と理解し、いつまでも心に留めることはありません。いわゆる、欲に執着しない、これが悟り。結局、生きるために最低限必要かどうか?拘らない、執着しない、未練がない事が悟りと諦めの違いとも言えます。
悟りを開いた人の特徴12個
■1. 物事への執着や私利私欲がない
何もいらない、誰かが得をすれば自分は喜んで犠牲になる…いつもそんな気持ちの人はいません。しかし、悟りを開いた人は自然の流れに従います。
欲しいものが手に入れば有難く、手に入らなければ“そういうものか”と納得し、自分だけ損をしても人を羨んだり逆恨みしたり、次は絶対に自分が!といった気持ちにはなりません。人の幸運も自分の幸運も有難く受け入れます。
■2. 他人の品定めや批判をしない
友人知人、家族、そして初対面の人でも、あの人の性格はこうだから、きっと…とその人の人となりを思い出したり、見た目の雰囲気から憶測で自分の物差しで人を測ってしまうことがあります。そこには自分の感情や競争心も働いています。
けれど、悟りを開いた人にはそうは感じません。不義理や失言に対しても怒りや不快を表すことはなく、人は人“こういう事もある”と受け入れ、批判したりはしません。
■3. 他人と自分との比較をしない
あの人はツイている、あの人ばかり優遇されるのに自分は…と他人と自分の違いに翻弄されることはありません。自分と他人に優劣はないと知っているのです。
たとえ何かの画策があって傷つけられても、相手を愚弄したり羨んだり、自分を卑下する気持ちも持つことはしません。なぜなら、自分は自分、人は人なのです。他人はどうか?ではなく自分の在り方を理解しています。
■4. 見返りは求めない
現代の社会には駆け引きというものがあります。それゆえ、これだけ助けたから、こんなに親切にしたから、欲しいモノをあげたから、こちらにも…と計算して他人を助けたにも関わらず、自分の窮地には知らん顔、恩をあだで返された、と憤りを感じる事はよくあること。
しかし悟りを開くと、さして怒りも憤りも感じません。自分は相手にしてあげたかったからしてあげた、という精神です。見返りなどハナから求めることはありません。
■5. 自分自身の限界点を定めない
自分には無理!そんな能力はない!どうせ自分は…というネガティブな気持ちはないのです。出来る出来ないはさておき、もう無理!はありません。
自分が求めているか求めていないか?無理だった原因が何かが問題。誰かが出来て自分が出来ないのではなく、求めるものに突き進み真摯に向き合えば必ず達成すると信じています。
■6. 信念を持っている
自分はこんな人間でありたい、ここだけは曲げられない、必ず〇〇となる、など自分の中に確固たる決め事、守り事、信条を持っています。
「自分でなくては出来ない事」「自分がすべきこと」をきちんと見出だしているため、どんな逆境に立たされたとしても、常にブレることなく心に深く刻み行動しています。
信念がないと人は弱いもの。悲しんで傷ついたり自暴自棄になることもありますが、悟りとは弱い心を払拭する事でもあります。
■7. 常に理性的な行いと判断をする
突然アクシデントで自分を見失うほどの窮地になっても、悟りの心を持つ人は取り乱したり焦って感情的な言動をすることはありません。
人間ですから、一瞬思考が混乱することもあるかもしれませんが、思考を正しく修正することが早く、すぐに冷静で理性的な思考を取り戻し、状況に応じた公平で適切な判断ができます。自分への非難に対しても同様でけっして感情的になり我を失うことはありません。
■8. 自分が自分を認めることが出来る
自分の事が好きですか?と聞かれ“好き”とハッキリ言える人はどのくらいいるのでしょう?誰でも長所と短所を持っています。
常識とされる事がどんどんと増えていく現代で自分がその常識に当てはまらないと不安になり嫌悪感に陥ることもあります。自分の長所と短所をしっかり認め、短所も個性として受け入れることが出来るのも悟りを経験した人です。
■9. こだわりや執着がない
モノ、人、衣食住など全てにおいて執着することはありません。来るもの拒ます去る者追わず、モノが捨てられない、傷つけられた記憶など、いつまでも1つの事を考え続ける事はありません。
全ては自分が生きる上で自然の流れと捉えています。それは忘れる事とは少し異なり、出来事の全て流れを受け入れられるということです。
■10. 日々、何事にも感謝の気持ちを忘れない
現代では“だって当然でしょ?”という言葉をよく聞きます。日常生活の中で親だから友達だから仲間だから、常識だから。誰かが自分にしてくれることは当たりまえと思っていないでしょうか?
どんな小さなことでも相手は気持ちが働き、時には苦労を伴いながら自分の為にしてくれるのです。どんな小さなことにも感謝をする。人は1人で生きているわけではありません。多くの他者の助けによって今がある事を知っています。
■11. 常に動じない
どんなに急なアクシデントにも、取り乱すことはありません。地に足が着いているので常に冷静な状態をキープします。たとえば、ドッキリや小さなイタズラを仕掛けても悟りの心を持つ人は、あまり面白いリアクションは望めません。
もちろん驚いています。でも心が動じていないので、すぐに平静になれます。あ~驚いた!と涼やかに笑ってくれるのではないでしょうか?
■12. 無になれる
無とは雑念を断ち、何も考えず精神を集中すること。瞑想とも言います。人間は眠るときまでも常に何かを考えています。頑張って無になろうとしてもそれは一瞬です。
一定時間無を継続することは至難の業。悟りを経験した人は精神を集中し何も考えず、存在や気配すらその空間と一体化することが出来ます。空気のような存在になることが出来ます。
悟りを開くとどうなる?
悟りを開くことが出来れば、あらゆる物事を自然の摂理と捉えることが出来るようになります。人や物事に執着することがなくなるので、怒りや恨み妬み嫉妬などを自分自身で消化できるので、争いや喧嘩、傷つけられることもなくなります。
負の感情が強ければ強いほど災いが大きくなります。負の感情を投げても平然としていれば、人からは変った人と見られることもありますが、悟りを知っていれば気になりません。
現代はストレス社会ともいわれ、いつも負の感情と共に日々を送っています。悟りには負の感情を負と捉えない意識です。ある意味、強い精神が作られ平穏に過ごせる自分になれるのです。
悟りを開いた瞬間
お釈迦様は長い苦行の末、菩提樹の木の根元で7日の間座禅を組みずっと己と向き合いました。その間には悪魔(自分の中の煩悩の化身)の誘惑や幻覚や幻聴にも襲われましたが、絶対に屈せず己を貫いたといいます。7日目に当たる12/8の夜明け、明けの明星(金星)が空にひと際輝いた時、全ての悟りを開き“仏陀”となりました。
己を知り、己を受け入れ、煩悩に打ち勝った時、その時こそが“悟りを開く”と言うことです。その瞬間に何を見て何を感じるかは人それぞれ。けれど、それは確実にわかるといいます。
現代では1週間も飲まず食わずで木の下で座禅を組み自分と向き合うことは現実的に難しい事。命の危険もあり途中で誰かに止められます。悟りにも段階がありますので、まずは1つずつ悟ることを実践すればその瞬間を感じることができるでしょう。
悟りを開いた人の顔や目つき
悟りを開いた人の一番の特徴は「瞳」。澄んだ目をしています。“目は口ほどにモノを言う”“目は心を映す鏡”と言いますが、まさにその通りです。それは古の時代から現代に至るまで変わることはありません。人の心は目に現れます。
悟りを開いた人の瞳は澄んでいます。目の大きさや形、視力などは関係ありません。いつも澄んでいて全てを見透かされ引き込まれるような力があります。
そして表情は常に穏やか。誰もを包み込むような優しい雰囲気を醸し出しています。そのさりげない笑顔は傍にいるだけで癒される気持ちになります。悟ってこそ得られる表情。目も表情も邪心のない清らかな心に反映されるのです。
悟りを開いた人の恋愛
悟りを開いたから恋愛や結婚禁止!ということはありません。悟りを得ても人は人。愛こそ学びです。恋愛に関しては現代で言うガツガツとした“肉食系”ではなく“草食系”であり、好きな異性に猛烈なアプローチはないでしょう。
そして、恋愛の相手もその姿勢を受け入れられる人を自然と選んでいます。一般的に恋愛の初期とは好きな相手と過ごせる一番楽しい幸せな時期です。
お互い相手に合わせていますが、しばらくすると相手の短所が目につきます。さらには結婚となると相手の言動や自分との価値観の違いが我慢できず喧嘩やトラブルになります。
ところが、悟りを得た人は相手に依存せず過度な期待もせず、相手を否定することがないため、どんなに理不尽な事が起こっても争いになることは殆どありません。パートナーになる人も悟りを理解する必要があります。
悟りを開いた人の生活
“悟りを開く”と聞くと一見、修行僧のような生活を想像するかもしれませんが、そんなことはありません。ほとんど普通の生活です。
何でもよく食べ、普通に仕事や勉強に取り組み、遊びも楽しみます。しいて言えば、早寝早起きで食べ物の好き嫌いはなく、自分のルーティーンに忠実で何事にも丁寧で変化に敏感。規則正しく健康な生活です。
ただ、もし違うところがあるとすれば、とても感性が鋭く敏感なため、人が“そんな事気が付かなかった”という事を多く察知します。
太陽が昇り陽が沈み月が出る、四季の移り変わりや、動植物の営みなど当たり前のような日々の中に小さな変化を見つけ、そこに幸せをたくさん感じています。感受性が強く柔軟であるがゆえに、当たり前であること全てに感謝して生きています。
悟りを開く方法
仏教の“悟り”のプロセスは実は細かく言えば50以上、大きく分けても7つはあるといいます。現代に生きる私たちがこれを全て習得するには、強靭な意志と覚悟、そして長き時間と環境づくりが必要です。
仏陀のような悟りの境地に到達するには相当な修行と長い時間も必要です。けれど、仏陀までとは言わずとも少しずつ近づくことは日々の生活の中でも充分可能です。
まずは、自分の長所や短所を客観的に理解し受け入れること、そして潜在意識の中にある傷を癒し、自分はどうありたいか?を知り、それに向かって前向きになることが第一歩です。
それを見極めれば、次はどうすればいいか?おのずとわかるはずです。始めからアレもコレもと欲張らず時間をかけて。欲張らない、これも悟りのセオリーです。悟りを1つでも習得することは人生を豊かにします。
まとめ
悟りを開けば、平穏に穏やかに生きる事が出来ます。時には変な人、変わった人と思われるかもしれませんが、悟りの心を持てば人からどう思われるかなど他愛もない事。
少なくとも穏やかでいられます。今を生きる人は常にストレスと背中合わせです。現代に生きる私たちこそ悟りの心は必要なのかもしれません。