お葬式やお墓参りでは、よく手を合わせて「なむあみだぶつ」とか「なんまんだぶ」とか唱えます。どういう意味でしょうか。
今では日本人のほとんどが無宗教とも言われますが、日本のお葬式は多くが仏式、つまり仏教の形式で行なわれます。しかしこれも多くの人にとっては「そういう習慣だから」というだけで、深い信仰心からという例は少ないようです。
ですから、お葬式では、進行役の人やお坊さんに「ここでなむあみだぶつと唱えてください」と言われるままに、意味もわからず唱えています。もちろん、それで支障もないのですが、意味がわかっていた方が唱え甲斐があるというものです。
ここでは「南無阿弥陀仏」の意味について解説しましょう。
南無阿弥陀仏の意味とは?読み方は?
南無阿弥陀仏の読み方は「なむあみだぶつ」です。「なんまんだぶ」とか「なんまいだ」というのはそれが変化したものです。
南無阿弥陀仏の意味を簡単にわかりやすく説明します。南無阿弥陀仏は全体で「私は阿弥陀仏を信じ、何もかもお任せします」という意味です。
南無はサンスクリット語のナモーの音写語です。音写語とは、意味ではなく音を漢字に移したもので、宛て字のようなものです。「私は深く信じます」という意味です。
阿弥陀も音写語で「はかり知れないほどの光や、はかり知れないほどの寿命」という意味です。阿弥陀仏とは「はかり知れないほどの光と寿命を持った仏様」という意味になります。阿弥陀仏は全ての生き物を救うという目的で修行を積んで仏様になったと伝えられています。
南無阿弥陀仏は全体で「はかり知れないほどの光と寿命を持つ阿弥陀仏を、私は深く信じます」という意味になります。
南無阿弥陀仏の宗派は?浄土真宗?
現代の日本で、南無阿弥陀仏と声に出して唱えることを重視するのは、浄土宗、浄土真宗、天台宗の系列の宗派です。
◯浄土宗
前に述べた通り南無阿弥陀仏の意味は「私は阿弥陀仏を信じ、何もかもお任せします」というものです。ここから浄土宗では「南無阿弥陀仏と唱えて阿弥陀仏に信じ任せることで、阿弥陀仏に極楽浄土に導いてもらえる」と説きました。ただひたすら南無阿弥陀仏と唱えれば極楽へ行ける、ということです。
◯浄土真宗
浄土真宗を作った親鸞は、浄土宗を作った法然の弟子です。教えの内容も、浄土宗から発展したものです。名前が似ているのはそのためです。親鸞は法然の教えに「南無阿弥陀仏と唱えるだけでは駄目で、阿弥陀仏の声を良く聞き取りなさい」と付け加えました。
心の耳を澄ませば、阿弥陀仏は「任せなさい、必ず救いますよ」と呼び掛けているはずだというのです。平安時代には法然の教えを「悪い事をしても後で南無阿弥陀仏を唱えれば許される」と勘違いする人もいました。
そこで、安易に南無阿弥陀仏を繰り返しているだけでは駄目で、深く信仰する心が必要だと親鸞は考えたのでしょう。このように全てを阿弥陀仏に委ねることを「絶対他力」と言います。
◯天台宗
天台宗は、朝には南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)、夕方には南無阿弥陀仏と唱えるのが一般的です。天台宗はもともと「法華経」というお経を中心にしていましたが、浄土宗の影響で南無阿弥陀仏と唱えるようになったともいわれています。
南無阿弥陀仏の効果
南無阿弥陀仏は阿弥陀仏を信じて全てを委ねる言葉ですから、必ず救われるという安心感が生まれます。そこから「ありがとうございます」という感謝の気持ちが生まれ、日々穏やかに暮らすことができます。
ちょっと不思議な信仰的な効果以外にも、リズムを付けて同じ言葉を繰り返すことは、呼吸を整え、余計なことを考えずに、気持ちを落ち着かせるといった、心理的、生理的な効果もあります。
浄土宗の法然は、南無阿弥陀仏と唱えれば、善人、悪人、老若男女、貧富の別なく、極楽浄土へ迎え入れられる、と説きました。つまり、南無阿弥陀仏と唱えることで、特別な修行をしなくても、極楽浄土へ行けるという思想です。
これに対して、浄土真宗の親鸞は、南無阿弥陀仏と唱えることで極楽浄土へ行けるのではなく、むしろ、極楽浄土へ行けるとわかったら、その感謝として南無阿弥陀仏と唱えなさい、と説きます。
極楽浄土へ行くためには、むやみに南無阿弥陀仏を唱えても駄目で、阿弥陀仏の「私が必ず救ってあげます」という声を聴くことが大事なのだ、という思想です。
また、浄土宗の一派である時宗では、阿弥陀仏への信・不信は問わず、南無阿弥陀仏さえ唱えれば往生できると説きました。
南無阿弥陀仏のお経の続き・全文コピペは?
南無阿弥陀仏はお経の一部や省略ではありません。したがって、続きや全文というものはありません。前に述べたように、意味もこの六文字でまとまっています。
しかし、南無阿弥陀仏という言葉を含むお経はあります。代表的なものは『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』です。これは、浄土宗の最も重要なお経の1つです。内容は、極楽浄土の素晴らしい様子や、阿弥陀仏の立派さが称えられ、多くの人が極楽に生まれる様に願うことが勧められています。
本文の文字数は漢字で1857文字と非常に短いので、よく写経されます。インターネットで検索すれば、全文や日本語訳なども見つかります。また、お経を読み上げる動画なども投稿されています。
南無阿弥陀仏の唱え方は?唱えるだけ?何回?
南無阿弥陀仏の唱え方は、宗派によりさまざまなものがありますが、特に深く信仰する宗派がないのなら、特別な唱え方をする必要はありません。
阿弥陀仏への敬意を持って、心を込めて唱えれば良いでしょう。たとえ1回でもかまいません。
浄土宗では、僧侶と出家していない一般の人が一緒に南無阿弥陀仏を10回唱えることがあります。これを同称十念(どうしょうじゅうねん)と呼びます。これは、心から極楽浄土への往生を願って、わずか10回でもお南無阿弥陀仏を唱えるならば、必ず往生を果たすことができる、という教えに基づいています。
時宗を作った僧の一遍は、踊りながら太鼓や鉦(かね)を打ち鳴らし、南無阿弥陀仏を唱えました。これを踊り念仏といいます。一遍は、踊りの興奮の末に煩悩を捨てることができると説きました。
現在、時宗の踊り念仏が受け継がれているのは、長野県佐久市の西方寺のみで、重要無形民俗文化財に指定されています。踊り念仏は、私たちに馴染み深い盆踊りにも大きな影響を与えているといいます。
墓石の南無阿弥陀仏の意味
墓石に南無阿弥陀仏と彫られているのは、浄土真宗に多く、浄土真宗では、お墓は単なる死者の埋葬場所ではなく、阿弥陀仏を象徴するものと考えます。仏像のようにご本尊として拝むものなのです。南無阿弥陀仏の文字を彫るのも、このような考え方によるものでしょう。
浄土真宗のお墓に彫られる文字としては、南無阿弥陀仏の他に「倶会一処」もあります。「くえいっしょ」と読みます。この言葉の意味は「南無阿弥陀仏を唱える者は、極楽浄土でまた会うことができる」というものです。
なぜなら、南無阿弥陀仏を唱える者は、阿弥陀仏が必ず極楽浄土へ導いてくれるからです。親しい人をなくしたときには、慰めになる言葉です。
お墓の形に規制はなく、最近では文字も「○○家之墓」とか「南無阿弥陀仏」という一般的なものの他に、故人や遺族の好きな言葉を刻むこともあります。でも、伝統的な言葉にもなかなか良さがあると思いませんか。
葬式・故人への南無阿弥陀仏の意味
浄土宗の葬儀では、南無阿弥陀仏を唱えることは、故人に代わって念仏を唱え、阿弥陀仏の救いを助けてあげる、という意味があります。
浄土宗の葬儀では、僧侶と共に故人に代わって参列者一同が念仏を唱える「念仏一会(ねんぶついちえ)」という儀式があります。南無阿弥陀仏を10回から一定時間唱えることで、故人が阿弥陀如来の救いを得る助けをします。これには参列者と阿弥陀仏の縁を結ぶという意味もあります。
浄土真宗のお葬式には他の宗派と異なる大きな特徴があります。それは、「故人への供養として行われるのではない」ということです。なぜなら浄土真宗の信者は死と同時に阿弥陀仏によって極楽浄土に迎えられているからです。すでに極楽浄土にいる者に成仏を祈る必要はないのです。
ですから礼拝の対象は死者ではなく、阿弥陀如来になります。香典の表書きも「御霊前」ではなく「御仏前」です。これは、お墓が阿弥陀仏の象徴であるのと良く似ています。
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違い
南無阿弥陀仏は「私は阿弥陀仏を深く信じます」という意味で、極楽浄土に行けるようにという願い、あるいは、極楽浄土に行けることに対する感謝を込めた言葉でした。
それに対して南無妙法蓮華経とは「お経の『法華経』を敬い、深く信じます」という意味です。
南無の部分は南無阿弥陀仏と同じで「深く信じます」という意味です。妙法蓮華経というのはお経のタイトルで、「法華経」と略されることの多いお経です。南無妙法蓮華経は日蓮宗や法華宗でよく唱えられます。
南無阿弥陀仏をお念仏、南無妙法蓮華経をお題目と言うことがあります。念仏とは、文字通り仏様のことを心で強く思い念じることです。
念仏の言葉には何種類かあるのですが、日本で何の前提もなくお念仏と言えば、南無阿弥陀仏のことです。題目とはタイトルのことで、お経のタイトルである妙法蓮華経を唱えるので、南無妙法蓮華経をお題目と呼ぶのです。
まとめ
南無阿弥陀仏は「はかり知れないほどの光と寿命を持つ阿弥陀仏を、私は深く信じます」という意味です。浄土宗では、極楽浄土へ導かれることを願って、浄土真宗では、極楽浄土を約束されたことに感謝して、この言葉を唱えます。
原始仏教では、正しい修行を行なったごく一部の人たちだけが救われるとされました。この系列の仏教は、今でも主に東南アジア地域に残っていて、上座部仏教と呼ばれます。
これに対して、生きているもの全てを救おうとするのが大乗仏教です。南無阿弥陀仏を唱える浄土宗、浄土真宗、天台宗も大乗仏教です。
阿弥陀仏は、修行に耐えられない、弱い人や愚かな人も救うため、その人たち分まで修行したと伝えられます。その結果、誰でも南無阿弥陀仏を唱えれば、極楽浄土へ行けるようになったのです。南無阿弥陀仏には、全ての命を救いたいという阿弥陀仏の願いが込められているのです。